チャットモンチー、サラバ青春

「君とよく行った坂下食堂はどうやら僕らと一緒に卒業しちゃうらしい」


このキラー・ラインに出会ってから13年の月日が経ちました。先日「完結」を宣言、ラストワンマンを日本武道館で大成功させたチャットモンチーの『サラバ青春』です。

卒業式後の校舎、グラウンド、あの空、あの風の透明さ。

ハーモニクスによるチャイムを模したイントロに続くヴォーカル橋本絵莉子の「キュン」と胸が詰まる瞬間をあまりに見事に表現する歌い出しから、眠っていたそれらの記憶が鮮やかに蘇ります。


「女心がわからないのね」

そんな言葉を残して初めて出来た彼女が去っていった20歳の秋。テレビから流れてきた『ツマサキ』が、チャットモンチーとの出会いでした。

「ヒール高い靴を履いて あなたの隣しゃなりしゃなり ペディキュアの蝶々見えるかしら」

爪先立ちの不安定なコードのギター・ストロークにのせて歌われる出だしのラインから、世界観に引き込まれます。

「土砂降り嘘つきの天気予報 横殴りの雨泣き顔の蝶々 進路変更早すぎる帰り道」

「今の顔もっとよく見せて 写真に撮るの間に合わないから」

オルタナティヴで湿り気のあるバンド・サウンドの中で歌われるストーリーが、過去になった彼女とのシーンに重なり涙が流れた瞬間、チャットモンチーは私の青春の一部になりました。


「あのひとがそばにいない だからあなたは私を手離せない」『恋愛スピリッツ』

「あなたが好きなタバコ 私より好きなタバコ」『染まるよ』

「見たい顔があるの 聞きたい声があるの 目が覚めたら 喜びを鳴らして」『ここだけの話』

「大丈夫はもう誰も言わない だから行くんだろ」『満月に吠えろ』

「いつだって恋がしたい あなた以外と」『ときめき』

「みんなと同じものが欲しい みんなと違うものも欲しい」『majority blues』


13年間、その時その時の自分に突き刺さるチャットモンチーの歌が流れていました。それは彼女たちが誠実に、メンバーの脱退や結婚出産などその時その時の自分たち、社会の空気と向き合って活動し続けてきたからなのでしょう。


お疲れ様でした、完結おめでとうございます。サラバ青春。


みんなチャットモンチーになりたかったんだ。


吉田昂平

レオノール・セライユ 「若い女」

「友達は少ない。けど話す人ならいるわ。あなたとだって、このまま続ければ打ち明け話もできる」

「パリのいいところ?そうだな。隠れていられるところかな」

都会で生きる、生活するということ。女として、男として。それぞれの孤独が寄り合って摩擦し合って、熱が生まれる。その熱を1986年生まれの俊英レオノール・セライユはじっくりと、誠実に97分間繋いでいく。


主人公ポーラは教授だった写真家と10年間の蜜月の後、アパートを追い出されパリで放浪の身になってしまう。長期滞在したメキシコでの思い出に浸るポーラ。夢から現実への、彼女にとってはあまりに突然な別れ。しかし映画は非常に手際よく、彼女のあまりに多い問題点を描き出す。手癖の悪さ、口の悪さ、その場しのぎの虚言癖。


そんな彼女をセライユは甘やかさず厳しすぎず、絶妙なバランスを保ったままスクリーンに映し出す。そしてやがて、ただ痛々しかったポーラが柔らかく、まるで季節のように穏やかに移り変わっいく。それを説明的なセリフやカットではなく、例えば子守相手の子供やバイト先の同僚との関係性の変化の中で描いていくのがとてもステキだ。


『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』覚書、歴代最高の映画スターに寄せて

トム・クルーズが走る。車にバイクにヘリコプターに乗る。そのとき一瞬一瞬が映画史になる。かつてはクリント・イーストウッドのいる場所が映画史だった。今2018年はトム・クルーズがその役割を担っている。


前作『ローグ・ネイション』はスパイ・アクションとして一つの到達点を示した傑作だった。『知りすぎていた男』『北北西に進路を取れ』などのヒッチコック映画へのオマージュ、その豊潤さを意識した映像、イマジネーション溢れる舞台設定、その中で繰り広げられる鍛え抜かれた俳優たち自身による生身のアクション、知的駆け引きで敵を騙し勝つクライマックス。

あまりの面白さに、この作品がこれからも今後もMIシリーズの最高傑作になるだろう、と今作を観る前は信じ込んでいた。愚かだった。正面きって堂々と、力勝負で超えてきたのだ。


撮影中にトム・クルーズが足を骨折した、というニュースを聞いたときはやはり年齢による衰えは隠せないな、と思っていたが、『フォールアウト』を観た後では1回の骨折で済んだのが奇跡としか思えない。バイク、車、ヘリコプターなど乗り物はもちろんビルからビルのジャンプ、窓からの落下、絶壁での格闘などタイトルの「落下」のモチーフが幾度も繰り返され、まさにヒッチコック『めまい』の高所恐怖症的スリルを観客の心理に植えつける。


オープニングから何度も悪夢のシークエンスが繰り返されるのも、非常に『めまい』的だ。今作はダブル・ヒロインと言える構成をとっているが、そのイーサンにとって非常に重要な2人の顔がとても似ているのも『めまい』を意識させ、ストーリーを味わい深くしているのがとても面白い。


しかし今作のイーサン・ハント=トム・クルーズの体技はどうだ。ジャッキー・チェンを飛び越え、バスター・キートンをも凌駕せんとばかり。冗談でなく、こんなアクションを体現できるスターがかつて存在しただろうか?しかも最後には、動きのない表情のアップの演技で涙を誘ってしまう素晴らしい映像俳優でもありながら。歴代最高、最強の映画スター。


ラストシーンのセリフ、「あなたがいるから、私たちは生きていける」。

これはトム・クルーズに私たちファンが思っていること、伝えたいことそのものだ。


『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』

トム・クルーズが走る。車にバイクにヘリコプターに乗る。そのとき一瞬一瞬が映画史になる。かつてはクリント・イーストウッドのいる場所が映画史だった。今2018年はトム・クルーズがその役割を担っている。


前作『ローグ・ネイション』はスパイ・アクションとして一つの到達点を示した傑作だった。『知りすぎていた男』『北北西に進路を取れ』などのヒッチコック映画へのオマージュ、その豊潤さを意識した映像、イマジネーション溢れる舞台設定、その中で繰り広げられる鍛え抜かれた俳優たち自身による生身のアクション、知的駆け引きで敵を騙し勝つクライマックス。

あまりの面白さに、この作品がこれからも今後もMIシリーズの最高傑作になるだろう、と今作を観る前は信じ込んでいた。愚かだった。正面きって堂々と、力勝負で超えてきたのだ。


撮影中にトム・クルーズが足を骨折した、というニュースを聞いたときはやはり年齢による衰えは隠せないな、と思っていたが、『フォールアウト』を観た後では1回の骨折で済んだのが奇跡としか思えない。バイク、車、ヘリコプターなど乗り物はもちろんビルからビルのジャンプ、窓からの落下、絶壁での格闘などタイトルの「落下」のモチーフが幾度も繰り返され、まさにヒッチコック『めまい』の高所恐怖症的スリルを観客の心理に植えつける。


オープニングから何度も悪夢のシークエンスが繰り返されるのも、非常に『めまい』的だ。今作はダブル・ヒロインと言える構成をとっているが、そのイーサンにとって非常に重要な2人の顔がとても似ているのも『めまい』を意識させ、ストーリーを味わい深くしているのがとても面白い。


しかし今作のイーサン・ハント=トム・クルーズの体技はどうだ。ジャッキー・チェンを飛び越え、バスター・キートンをも凌駕せんとばかり。冗談でなく、こんなアクションを体現できるスターがかつて存在しただろうか?しかも最後には、動きのない表情のアップの演技で涙を誘ってしまう素晴らしい映像俳優でもありながら。歴代最高、最強の映画スター。


ラストシーンのセリフ、「あなたがいるから、私たちは生きていける」。

これはトム・クルーズに私たちファンが思っていること、伝えたいことそのものだ。


フジロック2018から遠く離れて ケンドリック・ラマーについて思うこと

クリエイティブ・コントロールを100%持たなきゃならない。収益をどうしたいか、見た目、プロセス、何を発信するか」『ユリイカ2018年8月号 特集=ケンドリック・ラマー』より。


2018年7月。霞ヶ関駅に森友、家計ら日本の現政権による隠蔽行為を強く想起させる黒塗り文章に「DAMN.」と大きく印字された広告が掲示された。

「身の回りのことしかラップしてこなかったケンドリックの本意ではないはず」

「本人の許可を得ていないんだろう」

広告屋の暴走」

SNSで起こったそんなリアクションが、今となっては完全な的外れであったことが明らかになっている。


28日21時。進路変更により直撃ではなかったとはいえ、台風の影響で数時間前から強い雨が降りしきる苗場のグリーンステージエリア前方は、異様な熱気と興奮に満ちていた。3日間で最も多くの来場者数を記録した28日。他のスロットを見ても筆者が現地で話を聞いても当日の天候を鑑みても、ケンドリック・ラマーのマンパワーがその人数、熱気を呼び寄せたのは明白なこと。筆者の周りだけでもアメリカ、ドイツ、メキシコ、スペインと多様なルーツの方々が大声でステージに向かって声を上げ、強くなる雨に抗っていた。


ケンドリック・ラマーはここ最近「チャンピオンシップ・ツアー」と題し、昨年から今年にかけてのセールス、クリティック両面の世界制覇を祝福するような華やかで開かれたベストヒット・セットでLIVEを行なっていた。フジロックでもコチラだろう、と予想するライターやファンの方が多かったように思うが、筆者個人の予想と願望は断然ストイックな『DAMN.』セット。それはまさに「DAMN.」と吐き捨てたくなる日本の状況に合致する、先に述べた広告の件もケンドリック本人の意図が少なくとも働いていたはずだ、と確信していたから。


雨が一段と強くなった定刻数分過ぎ、カンフー・ケニーの映像が。

「DAMN.セットだ…!!」

それから火柱が上がりオープニング・ナンバー『DNA.』が終わるまでの約10分間。前に横に暴れリリックを叫び雨に負けるなよと拳を突き上げたあの10分間。今思い出しても鳥肌が立ち泣きそうになる。間違いなく、人生最高の時間だった。


そこからはある程度冷静になり、音に注意を向けると様々な気づきが生まれた。ケンドリックのクリアな発声、抜群のリズムとピッチ。生演奏とは思えない完璧な、トップ・プレイヤーで固められたバンドのグレイトなサウンド、しなやかなグルーヴ感。そして日本の観客を研究して考えられたであろう少なめのシング・アロング。正直かなり歌詞を覚えていて歌う気満々だった筆者は少し残念だったのだけれど(『HUMBLE.』のファースト・ヴァースは任せてほしかった!)、そこは流石good kid。前方は歌い暴れ大変な盛り上がりだったけれど、やはり中間から後方は多少の動きはあれどラップに慣れていない日本人が多く静かだったとのこと。こういった本場のやり方、スタイルを受け入れない態度を「日本のやり方」として良しとするのはあらゆる局面でもう限界だと思うが、あの場では最適解に近い、極めてクレバーな選択と言えたのだろう。


「これはこんな大雨の中立ち続けてくれた君たちの歌だ!」

ラスト、何千のスマホのライトが照らされる中『All The Stars』をパフォームするケンドリックが、観客たちのとても近いところにいるような気がした。あの場にいた人の多くが、SNSでそう発信している。

多分、ケンドリック本人が感動してくれていたんじゃないかと、そんなことを不遜にも思ってしまう。忍者、空手、Jホラーなど日本文化を意識したパフォーマンスを見せてくれていながら、なかなか実現しなかった来日公演。2013年、半ば伝説化している雨のホワイト・ステージ、レインコートを着た初出演から早5年、同じ雨の苗場。ケンドリックの目にはどんな景色が見えていたのだろう。5年前より良い景色だったらいいな、だってこんなに私たちは感動しているんだから。そんなことを思いながら、こんなラインを歌っていた。

「愛について話そう。それが望むことのすべてだろう?」